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汽笛の音が遠くで響く。
窓から入り込んだ風が一陣、前髪を玩びながら吹き抜けて行った。
秋の日差しが柔らかに降り注ぎ、髪の表面に潜ってきらきらと光っている。
ジョオはまどろみの中でぼんやりとそれを見つめていた。

ふと足元で鈍い音が鳴り、二等車の固いシートが揺れる。
その振動で現実に引き戻された彼女は髪の編みこみに手をやり
そっと整えると再び汽車の窓に目をやった。

いつしか都会の街並みは消え、懐かしい田舎の風景が広がっている。
じきにニューコードにも着くのだろう。
そう思うと知らず知らずに溜め息が漏れた。

マーチ家の次女、ジョオ−ジョセフィン=マーチが
ニューヨークで暮らし始めてからもう八年が経とうとしていた。
妹のベスの病状が芳しくないとの手紙が届き、悩んだ末の決心だった。
懐かしく愛おしいはずの我が家、しかしこの帰郷は彼女の心をまるで鉛の鎖のように
重く縛り付けていた。
五年前のあの時から、ジョオの心の時間はずっと止まったままだったのだ。

ふいにガチャガチャと物音が奥の車両からした。
それは一人の老婦人が現れた。
「こちらは空いているかしら?」
厚い眼鏡のレンズの奥から小さな目をぱちぱちと瞬かせ、
婦人はジョオの向いのシートを指差した。
「ええ、私は一人ですから。」
ジョオの短く微笑みを返した。
婦人はジョオの質素な身なり、必要最低限の荷物などに目をやると
安心したのか、婦人は抱え持った一杯の手荷物を次々にシートの上へと
放りながらまくしたてた。

「あぁ、ありがとう。ようやく座れたわ。
私、いつもは一等に乗るんだけど席がいっぱいでね。
親切なお嬢さんに会えて本当に良かったわ。
なにしろボストンまでは長旅でしょ。
ボストンにはね、妹が住んでいるの。
もう十五年にもなるかしら・・。
昔は私も住んでいたのよ。
でも、きっと何もかも変わってしまっているでしょうね。
時間が過ぎるって寂しい事だわ。」
婦人は人懐こそうな微笑をジョオに向けた。
しかし、ジョオは今度は笑みを返す気にはならなかった。
なぜだか自分の心の深い場所を見透かされているように思えたからだ。
ジョオは言葉なくうなずくと泳いだ視線を窓の外へと向けた
その時だった。
ジョオの視線の先を小さな喚声と共に窓の外を白い花びらのようなものが舞った。
それは女の子の小さな帽子だった。
前の方の車両から小さな女の子の泣き声が聞こえる、きっと風に取られて落としてしまったのだろう。



故郷から吹く風に乗って泳ぐ帽子。
『あの時と一緒だ・・・。』
全速力で走る汽車の轟音も、
老婦人の他愛ないおしゃべりも、
耳を叩く風の音ももう耳に入らなかった。
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