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その日、我が家には久しぶりの活気が戻ったようだった。
昔からの使用人であるハンナは白髪が混じり始めたカーリーヘアを
手ぬぐいの中に押し込み、
朝から掃除に、料理にといつも以上に熱心に働いた。

時折、聞こえてくる鼻歌は彼女がご機嫌の時の証で、
それを聞くと三女のベスーエリザベスも心がうきうきと躍った。
曲はいつもベスが弾いて聞かせていた、ハンナお気に入りの曲「子犬のワルツ」だった。

「ピアノで弾こうか?」
と尋ねるベスにハンナは頭を振って、耳を指差すと言った。

「とんでもない!ベスさんの曲はみんなここに入っていますよ。
だから休んでおいて下さい。」





ベスは元々身体が丈夫ではなく、少しの風邪でも深く長引くことが多かった。
そのせいか、ハンナは何かにつけてすぐ彼女を病人扱いする。
そのくせピアノを弾き始めると誰よりも喜ぶのはいつもハンナだった。

ベスはすみれ色のピアノを優しく撫でると子犬のワルツをそっと弾き始めた。
壁の向こうでハンナの鼻歌が一際大きくなるのが聞こえる。

(ハンナの鼻はまるで楽器ね。)
ベスは小さく微笑むと、ハンナとのアンサンブルを楽しみながら、
久しぶりに家に帰る姉と妹を迎えられる喜びを噛み締めていた。

     *     *     *

メグはお昼を少し過ぎた頃に出て行ったが汽車の時刻には早すぎたのかもしれない。
時計を見るともうかなり経っていた。
外では秋の午後の空気がまるで駆け足のように少しずつ本来の肌寒さを取り戻し始めていた。

ベスがぼんやりとそんなことを考えていると母−メアリーが洗濯物をかご一杯に抱えながら部屋に入ってきた。
「あぁ、一度に家族が増えるって大変ね。」
メアリーは嬉しそうにそう言った。

彼女の足元にはまとわりつくように白い母猫と子猫三匹がじゃれている。
ベスはピアノを弾く手を止めると母猫を抱き上げた。
「ダメでしょ、リトル・アン。
全くあなたはママになっても甘えん坊のままなのね。」





母親を取り上げられた子猫たちは今度はベスの足元の方に来て
部屋履きのスリッパの刺繍にじゃれついた。

「‥お母様、ミルキー・アンは?」
「ミルキーはあなたのベッドじゃないかしら。」
メアリーはソファーの上でシーツをたたみながら答えた。

ミルキー・アンがリトル・アンを産んだのはジョオがこの前に帰郷して少し経ってからのことだった。
それがつい最近、そのリトル・アンも三匹の子猫たちのお母さんになったのだ。
そして、今回のジョオやエイミーの帰郷。
ベスは指にじゃれる子猫たちをあやしながら、全く嬉しいことは重なるものだと感じた。

「それにしても、唯一残念なのはお父様がいらっしゃらないことだわ。」
ベスは誰に言うでもなくつぶやいた。

「仕方ないわ、今はまだ戦地の復興が終わっていないんですもの。
お父様の腕が必要とされているのよ。」
返すメアリーの言葉もまた独り言のようだった。

建築家の父−フレデリックは南北戦争後、ケガが治すと各地を回りながら
戦火に焼けた街々の復興に尽力していたのだ。
ここの所は特に忙しくなり、家にいる時の方が日に日に短くなりつつあった。
ジョオはきっとさぞ残念がることだろう、ベスの心に姉の笑顔が浮かんだ。

     *     *     *




「…さぁ、そろそろお帰りじゃありませんか。」
ベスはハンナの言葉にはっとした。
いつしか部屋の中は薄暗くなっており、窓の向かいに見えるローレンス屋敷の白壁が
夕日の色で真っ赤に燃えている。




それが合図かのようにハンナが手際よく部屋のランプに灯かりを点してゆく。
いつも見慣れた光景なのに今日はなんだか誕生日のように胸が躍るのを感じる。
まるでプレゼントを開けるのを待った子供の頃のような気持ち。

「あっ!」
ハンナが声を上げる。
「お帰りですよ!」

ベスの胸が高鳴る。
それはいつかのクリスマス、父の帰ってきた時と同じような喜びの鼓動だった。
そしてその音は遠く馬車の轍を踏む音と溶け合いながら胸の中に響いて来た。
つづく



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