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窓の下を馬車が走り去ってゆく。
マーサは窓辺に立ち、遠く見えなくなるまでその姿を追っていた。

叔母の背中越しにエイミーは彼女の心に占めるジョオへの気持ちが大きいものであることを感じた。
そして、それと同時にジョオが頑なに”小説家”だけを目指し、しがみついていることをもどかしく思っていた。



『私は絵が好き。』 エイミーは自分の心に語りかける。
絵を描くこと、美しいもの、きらきらしたこの世界を自分の手でキャンバスに残すことは何より幸せな時間。
でも、私は絵だけにこだわるつもりはない。
もちろん家族だって大事だし、
ロンドンの目も眩むような上流階級の社交界にも憧れを感じている。

そう、表現者たる者は何よりまず自分が幸せでなければ、
自らの作品を見る者全てにその幸せを表すことなど出来やしないのではないか。
姉は”小説家”に固執するあまりその行き先を見誤っている。

そこまで考えるとエイミーはふいに自分の中に嫉妬心を感じて恥ずかしい気持ちに駆られた。
いつしか屋敷の外では潮風が吹き始め、屋敷の中に鈍い風の音を響かせていた。


「風が出て来たようですわね、叔母様。」
エイミーは叔母の肩にそっとケープをかける。
マーサは我に返ったように眼鏡を外すと深く眉間に刻まれたしわを押し込むように指で強くこすった。



その時、ノックの音が聞こえてエスターが部屋に戻って来た。
「お帰りになりました。」
マーサはさぞ当然のように彼女の言葉に答えずにいた。

「お言伝てのお品はお持ち帰りになりました。それはもう喜んでおいででしたわ。」
もう、とうに冷めたくなっていたマーサのティーカップを下げ、
代わりに熱いお茶を注ぎながらエスターは続けた。

「あら叔母様、一体何を贈ったんです?」
口を開かない叔母に代わり、エイミーが興味を示した。

「イブニング・ドレスですよ。」
まるで自分のことのようにエスターは嬉しそうに笑いながら答えた。
「奥様がご自身で生地からお選びになられたんです。」

「まぁ、叔母様がご自分で!それは珍しいこと。」
それに応じるようにエイミーが声を立てて笑う。
今まで外の風に冷え切ったようだった部屋が一転して明るくなった。

「ほら、おしゃべりはもうその位におしよ。」
マーサがようやく声を上げた。
「お前が来ると使用人までがおしゃべりになって困るよ。」
口調はいつもの通りだったが見ると叔母の表情は幾分か和らいでいた。
エイミーはこのしかめ面にも似た叔母の微笑がとても好きだった。

そして、マーサに見られないようにエスターにウィンクして見せると、
エスターはそっと口の前に手をやり、吹き出すような仕草を見せながら
そそくさと部屋を出て行った。

「叔母様、もうそろそろお昼の時間ですから、私の報告はその時にでもしましょうか。」
彼女の言葉にマーサは肘掛け椅子にどさりと身を預け、
入れ立てのお茶を口に含むと「そうだね。」とだけ言った。
エイミーは叔母にもう一度笑顔を見せてうなずくとそっと部屋を後にした。

     *     *     *

「…お手紙‥ですか。」
リビングで昼食の用意をしていたエスターは叔母自慢の銀の食器を並べていた手を止めると
エイミーに向き直った。

「そう、私宛てのなんだけど…届いていない?」

「さぁ、お屋敷に届く郵便はみんな奥様宛ての物ですから、
いちいち確かめてはおりませんわ。」
エスターが答える。

「そう…。」
ちょっと考え込むようにしていたがエイミーはまたすぐに身を乗り出して言った。
「なら、今後もし来るようだったら抜き取っておいてくれない?」

「それは構いませんが…何の手紙なんです?」
エスターは興味深そうな、からかうような視線を向けて聞く。

「…内緒にしてくれる?」
エイミーは身を乗り出して口に手を当てて、声を潜めるようにして言った。



「…私、プロポーズされたの。」
エスターの手でガチャリと食器が音を立てる。
「そのひとから手紙が送られてくるかもしれないの。」

「まぁ…!」
エスターは頬に手を当て、溜息のような声を出した。
「どんな方なんですか?その…」

「向こうの大学で出会った人よ。
ロンドンでも名門の出でとてもお金持ちらしいの。」
胸のブローチを手でもてあそぶようにしながらエイミーは答えた。

「じゃあ、きっととても素敵な方なんでしょうねぇ。
良いお話じゃありませんか、奥様もお喜びになりますわ。」
笑顔をほころばせながらエスターは言った。

しかしエイミーは振り返るとちょっと考え込むようにして応じた。
「でもね…私、まだそんな気になれないの。」

「あら、もったいない…、
私ならすぐ飛びついちゃいますでしょうに。」
いつの間にかエスターの方が身を乗り出すと
まるで物語のヒロインでも想像するかのように溜息を吐きながら答えた。

「また、どこがお気に召さないんです?」

「う〜〜ん…。」
エイミーは大げさに腕を組み直すと考え込んだ。
「…その人、金髪なの。」

エスターが目を丸くする。
「私、金髪の男の人って好きじゃないから。」
思いもよらない回答にエスターは小さく吹き出した。

「…分かりました。
お手紙が届いたらよけておきますよ。」

「ありがとう、恩に着るわ!」
エイミーは手を合わせた。

「さぁ、もうそろそろ用意が出来ますから、奥様を呼んで来てくださいますか。」
エスターの言葉に彼女はにっこりとうなずく。

そして「エスター、大好き!」とだけ言うと部屋を飛び出して行った。
エスターはそんな姿をまるで妹を見るような優しい瞳で見つめていた。


つづく



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