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ジョオはマーサの元から戻るとその日の内に物置となっていた自分の部屋に荷物を移し、
ハンナの制止も聞かず、そこにこもって小説を書き続けた。
ベスやハンナは心配したがメアリーがそっとしておいてやるように言いつけたので、
二人は仕方なしにそれを守っていた。




そして、瞬く間に三日が経った。
その日のお昼前、日課となっていたお茶をベスが運んでいくと
珍しくジョオは椅子から立ち上がり、背伸びをしていた。

「完成したの?」
ベスの言葉に振り返ったジョオの表情は笑顔だった。

「…うん、出来上がったわ!」
姉の声は幾分か疲れていたが、満足そうな響きがなんだかベスには懐かしかった。

「ねぇねぇ、どんなお話なの?」
ティーセットの乗ったお盆をテーブル代わりの木箱の上に置くと
ベスはお茶を入れるよりも先にたずねた。

「今度のお話はね、妖精に魅入られた古城の主と若き剣士との悲恋のお話なの。」
ジョオはすらっとした長い手を窓の方へと伸ばす。

次の瞬間、雑然としたこの物置部屋は深い幽玄の湖畔にたたずむ古城の一室へと変わった。
石炭の古い木箱は人の手に触れることを長い間拒んできた財宝の箱に、
先の曲がった火かき棒はジョオの手の中で聖なる精霊の剣にと姿を変える。

そして、ジョオは誠実な若い剣士と古城の財宝を狙う悪党との一騎打ち、
物語のクライマックスをベスの前に演じて見せた。

ベスは衣装箱に腰を下ろすとジョオのために持って来たお茶を飲みながら、
その世紀の対決に胸を躍らせた。
思えば彼女は子供の頃、いつもそうしてジョオの世界を旅して来た。
久しぶりに聞くジョオの台詞一つ一つが羽根となって彼女を海の向こうの不思議な世界へと誘うのだ。



いつからか体の弱い自分だけが残り、姉や妹は全てこの家から旅立って行ってしまった。
あたたかく、まるで春の新緑の輝きのようにきらめいていた子供時代は終わりを告げ、
いつからか自分の生活は秋の日のように短く時間だけが駆け抜けていくようになっていた。
もう戻ることはないはずだったあの瞬間が今、ここに舞い戻ったようにベスには感じられ、
ジョオのお話がいつまでも続くようにそっと胸に祈った。


女城主の最期の言葉がジョオの口から漏れた時、ベスは拍手で彼女の熱演に応じた。
そして、ジョオはカーテンコールに応じる大女優のようにうやうやしく頭を下げた。

「…どうだった?」

「とっても面白かったわ。
なんだかとっても久しぶりな気がした。」
ベスは姉の問いに素直に答えた。

「あら、お話がどうだったかを聞いているのよ。」
ジョオが拍子抜けしたように言う。

「もちろんお話も良かったわ。
でも、一人残されたその剣士はなんだか可哀想ね。」
ベスは恋破れた孤独の剣士をそう評した。

「‥だから、面白いと思うんだけどな。」
ジョオはベスの賛辞にちょっと不服そうだったが
温かいお茶を口にするとすぐまたいつもの笑顔に戻っていた。

「それにしてもこんなせまい所にこもらなくても良いのに。」

「あら、これだから集中できるのよ。
カーク夫人の所なんて、ネズミの出る屋根裏部屋なんだから。」
自慢げにジョオが話す。

「えっ!ネズミが出るの!?」
ベスは身を乗り出して聞いた。

「そう、名前はトリスタン卿と言うのよ。
近所の大きなドロボウねこを追い払った勇敢なネズミなの。」
ジョオはまるで聖剣を振りかざす騎士のような仕草で言った。

「私は小説さえ書ければそれで良いから、
カーク夫人が用意して下さった2階のお部屋を他の子にゆずって、
あえて騎士(ナイト)のいる屋根裏部屋を選んだのよ。」
ジョオがさも得意げに言ったので、ベスは吹き出してしまった。


「夫人の所は他にはどんな人が住んでいるの?」
ベスが好奇心を見せる。

ええ、もちろんとジョオはうなずいた。
「まず夫人に幼い二人の女の子−キティとミニィがいるわ。
この子達は私の”わるい7匹のこぶたのはなし”が大好きなの。

他にもベスと同じぐらいの歳で学校に通う子や演劇を志している子なんかもいるわ。
でも、部屋に同居人があるのは私だけね。」
と言ってジョオがウインクをして見せた。
ベスがまたクスクスと笑って見せた時、扉がキイときしみ太った白い猫が入り込んで来た。

「…ミルキー・アン。あんたも私達のおしゃべりに加わりたかったの?」
ベスが言うとミルキー・アンはベスの足元を爪で引っかいた。
いつもの”抱っこ”をねだるポーズなのだ。

「あんたはもうおばあちゃんなのにまた少し太ったんじゃない?」
そう言うとベスは抱き上げて膝の上に乗せた。



「きっとネズミの話に誘われて来たのね。‥そうよねぇ、ミルキー。」
ジョオがおどけた口調でそう言うとミルキー・アンは一つ鳴き声を上げて
ベスの膝の上でうずくまった。

     *     *     *

「…今回は嘘を言ってまで来させてごめんね。」
ミルキー・アンの背中を撫でながら、思い出したようにベスが言う。

「もう、良いのよ。」
そして、ジョオは突然ばつが悪そうに視線を落として言った。
「それより私こそ、何も買って来れないで悪かったわ。」

上目使いにジョオの視線はベスの羽織っていたエイミーのショールに向いていた。
ベスはそれに気付いて微笑みながら言った。
「ジョオ、私は何もいらないわ。」

「ううん、次に帰る時にはきっと何か素敵なものをお土産に持ち帰るわ。
そのためにがんばろうとも思っているんですもの。
それにあんただって何か一つくらい欲しいものはあるでしょう?」
ジョオはじっとベスの顔をのぞきこんだ。
ベスは少しの間、困ったように考えていたが、やがて顔を上げてこう言った。
「じゃあ…私、ジョオの本が欲しい。」

「えっ……。」
思いがけない答えにジョオが驚きの声を上げる。

「金文字でジョセフィン=マーチの名前が打ってある素敵な本。
私はジョオの最初の本の、最初の読者になりたい。」
ベスは昔見た夢を思い出すかのようにゆっくりとそう言った。
その言葉はジョオ自身の夢でもあったことだった。



「分かったわ、きっといつか私の小説が本になった時、
それを誰よりも先にベスの所に持って帰って来るから。」
ジョオはそれを口にしながら、その言葉を胸の深い深い所に刻み込んだ。
必ず持ち帰ろう、いつか私の本をベスの元に。
ベスはいつも通りの優しい微笑をたたえながらそんなジョオを見つめていた。

     *     *     *

いつの間にか窓から日差しが差し込んでいた。
ベスはミルキー・アンを床に降ろすと立ち上がり、締め切っていた窓を開け放った。
外は秋晴れで穏やかな天気だった。
窓を開けると秋のあたたかい陽気が振りそそいで来る。
それは柔らかな風となって物置部屋の二人を包みこんだ。

ふとベスは空の向こうにあるちぎれ雲に話しかけるかのようにつぶやく。
「ここから見える景色は子供の時と何一つ変わらないのに。
いつの間にか身の回りのものが全てが変わっていってしまったわ。」

ジョオは何も言わず、ただ妹の言葉に耳を傾けていた。

「今ではピアノを聴いてくれるのもハンナだけ‥。
お隣のローレンスさんも今は家に来ることがほとんど無くなってしまったの。」

お隣の老紳士−ジェームズ=ローレンス氏の名前が出た時、
ジョオの心臓は高鳴った。

窓辺のベスは窓からこぼれる陽の光に包まれるようにして立っていた。
ジョオはじっと彼女の後ろ姿を見つめた。
背は子供の頃よりも大分高くなっていたが、
肩幅は華奢で同じぐらいの年代の女性より一回りほど細く、少し骨ばって見えた。
それは明らかに健康体とは呼べない気がした。

ベスは少しの間言葉を選ぶように黙って立っていたが、やがて振り向くと口を開いた。
「…ローリーとはあれから会っていないの?」

ジョオを見つめる彼女のまなざしは優しく、決して自分を責めているわけでないことは分かっていた。
でも、ジョオには黙って首を振ることしか出来なかった。
ベスはそんなジョオの肩に手を置くと続けた。
「…ジョオは怒っているの?」

「怒ってなんて……。」
ジョオは瞬発的に口を開いたが、それに続く言葉は飲み込んでしまった。

「‥なら良かった。」
ベスはそんな姉の気持ちを察するかのようにうなずいた。
しかしすぐにその表情は曇った。

「でも、ローレンスさんは酷く怒っていらっしゃるわ。
…ローリーが自分を裏切り、家を捨てて行ったと思っていらっしゃるみたいなの。」



ジョオはその瞬間、つららのようなものが心臓に突き刺さるかのような思いに駆られた。
そんな姉の目を優しく見つめ、首を振るとベスは続けた。

「ジョオ、あなたは私たちを捨てて行ったわけではないでしょう。
きっと、ローリーもそうなんだと思う。
ただ今は羽根を休めたいだけ、…そうよね。」
ベスは下を向く姉の顔をのぞきこむように語りかけた。

「だから、もしローリーと会うことが出来たら言ってあげて。
今のローレンスさんには彼のカが必要なんだということを。」
そこまで言うとベスは小さく咳き込んだ。

「…あんた、どうしたの?」
ジョオが背中をさするとベスはかぶりを振った。

「ここの所、急に寒くなったでしょ。
ちょっと風邪をひいたみたい‥。でも、もう大丈夫よ。」
そして、温かいお茶を口に含むとベスは微笑んで見せた。

それを見るとジョオは妹に背を向け机の方に向き直ると、
小説の紙束を抱えながら言った。
「…約束するわ、もし会えたらきっと伝える。」

ベスは姉のその言葉を噛み締めるように目をつぶった。
足元にはミルキー・アンがじゃれている。
優しく抱き上げ、ベスは彼女の小さなあごの下を指でさすった。
「あなたもまた会いたいでしょ、ミルキー・アン。」



「ニャア。」
ミルキー・アンはまるでベスの言葉を分かるっているように鳴いて見せた。
そんな彼女の頭に優しく頬を寄せ、そっとジョオに差し出す。
ミルキー・アンを抱き寄せるとその白い毛皮は陽に当ってほんのりとあたたかかった。

「…そうね、あなたも会いたいわよね。」
そうつぶやくジョオの顔には曇りはなかった。


窓辺のくぬぎの枯葉がさらさらと音を立て、一陣の風が部屋に舞い込んで来た。
この風はどこから来たのだろう。
ジョオにはそれが同じ空の下にいるはずのその人の安否を伝えに来たように感じられた。
あの日遠く海鳴りを運んで来た海辺は静かで、時折かもめの鳴く声が聞こえていた。


つづく



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