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「あら!」
ハンナが頓狂な声を上げた。
「ジョオさんが降りて来なすったよ、
こりゃ午後から雨かもしれないねぇ!」

「そうかもしれないわね。」
ジョオは階段の手すり越しにハンナに笑いかけると言った。
「じゃあ、降り出す前にお昼を食べちゃいたいわ。
もう、お腹ぺこぺこなの。」

「じゃあ、お昼にいたしましょう。」
テーブルの上には焼きたてのビスケットにスグリのゼリーが添えてあった。
物置部屋で一人食べる食事はニューヨークと同じで味気ない。
ジョオは早速、ビスケットにゼリーをたっぷりと塗るとほおばった。
スグリの爽やかな酸味が口一杯に広がる。
「…このゼリー、とてもおいしいわね!」

「それ、メグが持って来たのよ。」
集まってきたリトル・アンと子猫たちにビスケットを砕きながらベスが言った。

「そう、これなら料理の腕ももうハンナに負けないんじゃないかしら。」
口の端を手で拭きながらジョオがほめた。

「そりゃあ、この私が仕込んだんですからね!当然ですよ。」
ジョオの言葉にハンナが白い歯を出して笑う。



「本人が言うんだから間違いないわね。」
ベスの言葉に三人が三人とも吹き出した。
こんなに愉快な昼食はジョオには久しぶりな気がした。
そして、スプーンに残ったスグリのゼリーなめるとこぶしを振り上げ立ち上がった。

「よしじゃあ、こんな素晴らしいゼリーを作ってくれた名コックにご挨拶に行こう!」

「まぁ!それはメグもきっと喜ぶわ。」
ベスが笑顔で賛同する。

「じゃあ、もう十分ほど待って下さいよ。
お三時のために作ったスィートポテトパイもじきに焼きあがりますから。」
ハンナがバタバタとキッチンに戻ると子猫たちがそれに従った。
その様子がいかにも滑稽だったのでベスとジョオはまた肩を叩いて笑い合った。


     *     *     *

ジョオは家を出ると小走りに走り出した。
くぬぎの枯葉が音を立て、足元を通り抜けていく。
胸にあたたかいパイの入った大きな包みと小説を書き上げたばかりの充足感を抱きながら、
ジョオはメグの新居を目指して一直線に駆けて行った。

部屋にいた時はあたたかく思えた陽射しも、
木陰の中ではひんやりとした肌寒さを感じた。
秋は駆け足でこの田舎町を駆け抜けようとしている。
ニューヨークの街はもう冬のような木枯らしが吹いていることだろう。
ジョオは大きな建物が並び立つ、カーク夫人の下宿屋の前の冷たい石畳の通りを
思い出しながら、そう感じていた。



その時、ジョオの足に何かが当たった。
見るとそれはボロ布をぐるぐる巻きに縫った野球のボールだった。

「…お姉ちゃーん、ボール取っておくれよー!」
道に沿って走る木の柵の向こうから少年たちの声が聞こえる。
見ると少年たちの真ん中には見覚えのある男が木の棒の枝を削っただけの簡単なバットを肩にかけ、
驚いた表情でこちらを見ていた。

「ジョオさんじゃないか!」
男は逆さにかぶっていたハンティング帽をかぶり直すと大きく手を振った。
それはメグの−そしてもちろんジョオ自身の−新しい弟、トムだった。
トムは数人の子供たちを引き連れながら柵の方に走って来た。

「あら、どうしたの今日は?」
ジョオが鍋つかみのような大きなミットの少年にボールを手渡しながら聞くと
トムよりも先に少年の一人が得意げに野球の授業なんだと答えた。




「‥先生、このお姉ちゃん誰だい?」
吊りズボンの少年が鼻をそでで擦りながら聞くと
つられる様に集まって来た女の子の一人がトムの顔をのぞき込むように尋ねた。
「先生のお嫁さん?」

「…バカ!この人はな、先生の姉さんなんだ。」
トムが慌てて答えると子供たちは笑い始めた。

「姉ちゃん、この包みなんだい?」
ぽっちゃりとした少年が木の柵越しにのぞき込むように甘い香りを放つジョオの包みを指差した。

「これはね、お姉ちゃんのお家で作ったおいものパイよ。」
ジョオがそう答えるよりも早く、その子の頭をトムが軽く小突いて見せた。

「ダメだぞ、チャック!お前はいつも食べ物のことばかりなんだから。」
しかし、そう言うや否やトムのお腹が一番に鳴った。

「こりゃいかん‥。」
恥ずかしそうにトムが帽子を目深にかぶると子供たちはまた一斉に声を上げて笑い出した。
そんな様子を見てジョオはトムがこの子たちの良き友、良き先生であることを実感した。
それはなんだかうらやましいような感情にも似ていた。

「そうだトム、この子たちを連れて家に行くといいわ。
ハンナはパイを焼き過ぎて困ってるから、みんなにもご馳走してくれるわよ!」
ジョオがウィンクして見せると、トムの答えを待たず子供たちから喚声が上がった。

「いいのかい?」とトムが聞く。

「良いのよ、私だってこれをメグの所に持って行く所だったんだから。」
もう一度ジョオがウィンクするとトムはうなづき、
子供たちに引っ張られるようにジョオが今来た道を歩いて行った。

ジョオはしばらくその後ろ姿を追っていたが再び、メグの家に向かって秋の道を歩き始めた。

     *     *  
小さな木製のゆりかごからかすかな寝息が聞こえてくる。
メグはようやく眠りについた双子たちの手をブランケットに包むと
すぐそばにあった木の椅子に腰掛けた。

「…眠ったかい?」
夫・カール=ブルックがティーカップを差し出した。
白い湯煙がほのかにカップの縁をなでている。
メグは笑顔で受け取ると熱い紅茶を口に含んだ。

口の中いっぱいに入れたての香りが広がり鼻の方へと抜けてゆく。
メグはゆっくり味わうようにそれを飲み込むと息を吐いた。

カールは仕事先のローレンス商会から、昼食に戻って来た所だった。
そして、メグの様子を幸せそうに眺めながらバスケットのパンを一つ取ると
ちぎって口にほうばった。

「‥それで見つかったの?」
しばらくしてメグは夫の顔色をのぞき込むようにたずねた。




「いや、、でも、今度こそ見つけられるんじゃないかと思っている。」
メグの言葉にカールが言葉少なに答えた。
彼は視線をそらし、窓の向こうに揺れるコスモスの花を見つめていた。

「でも、その話本当なのかしら。今まで手を尽くして見つからなかったんでしょう?
それが今になってどうしてボストンで…。」
メグは手持ち無沙汰かのように紅茶をスプーンでかき回した。

「大体、ボストンってニューヨークにも近いんでしょ。
ジョオは何も知らないのかしら。」

「近いと言っても200マイル以上離れているんだ、
隣町に行くような距離じゃ…。」
そこまで言いかけ、カールはメグの方に向き直ると言った。

「ジョオは彼のことを何か言ってなかったかい?」

「それは…。」
カールの言葉にメグは一瞬言葉を飲んだ。

「…私からはとても聞けないわ。」
カ無いメグの言葉にカールも長い溜め息を吐いた。

「とにかく今は向こうからの連絡を待とうじゃないか、
ローレンス商会の将来の為にもこのままで良いはずはないからね。」
自問自答するようにそこまで言うと、カールは手元にあった小さな写真を手に取った。
そこには彼の雇い主たるローレンス氏と姿を消した彼の孫の姿があった。
写真を見つめる夫の目は愛情に満ち、それはまるで実の弟を心配しているかのように
メグには見えた。

その時、玄関のベルが鳴った。
「まぁ、ジョオだわ!」
立ち上がり玄関に向かって開いた窓のカーテンの端からのぞいたメグの表情がぱっとほころぶ。
「小説を書き終えたのかしら。」
メグがそそくさと玄関に迎えに出るのを横目に
カールは残っていたパンを紅茶で流し込むとハンカチで手を拭いた。

メグとジョオの明るい声が玄関の方に入り混じって聞こえてくる。
今まで静かだったわが家に急ににぎやかであたたかな空気が流れ込んで来たようだった。

「…あら。」
メグに導かれて部屋に入ったジョオが声を上げた。
「ごめんなさい、私てっきりメグが一人かと思って。」

「いや、いいんだ。私はもう行くつもりだったからね。」
カールは笑顔で応じた。

「これは…?」
メグが包みを開くとスィートポテトパイの甘い香りが部屋いっぱいに広がった。
「美味しいスグリのゼリーをご馳走してくれたシェフにお礼のパイよ。」
ジョオがにっこりと笑って答える。

「やだ、あれを食べたのね。」
メグが照れた仕草を見せながら答える。

「あれはね、メグが試行錯誤した苦労の結晶だからね。」
カールがメグにウィンクして見せるとメグは顔を益々赤くして言った。
「…あなたはいつもそれを言うんだから。」

「なぁに、何かあったの?」
ジョオが照れるメグの顔をのぞきこむようにして聞く。
二人は顔を見合わせると笑い出した。

「メグはね、スグリのゼリーで一度大失敗をしたことがあったのさ。」
そして、カールはかつてメグが彼を喜ばせようとして
初めてスグリのゼリーを作った時の小さな小さな失敗の物語をジョオに話して聞かせた。

それが惨憺たる失敗に終わったこと。
そこに運悪くカールが友人を伴って帰宅したこと。
そして、初めての夫婦ゲンカをしたこと。



ジョオはそれを聞きながら、メグがこの家で懸命に新しい家族を作っていることを改めて感じた。
恥ずかしそうに、時にカールの話に訂正を入れているメグの姿を見ていると、
歳の近い自分の姉がこの誠実な男性と一緒になれたことに感謝の気持ちを覚えるのだった。


やがて胸ポケットから懐中時計を一瞥して立ち上がるとカールはジョオに別れを言い、
仕事に戻って行った。
ジョオはメグがいつもそうしているように共に玄関まで見送った。
庭に咲き誇ったコスモスの花畑越しに振り返り振り返り歩いて行くカールの姿を
メグは見えなくなるまで手を振っていた。
ジョオは姉の姿を、そしてその指先を満足そうに見つめていたが、
やがて、含み笑いして言った。



「ブルックさんは子供が一度に増えて大変ね。」

「そうね。」
幸せそうな笑顔でメグが返す。
「一度に子供が二人も増えたんですものね。」

「‥あら、三人の間違いじゃない?」

「まぁ、それどういう意味!」
指折りしてメグが声を上げる。
ジョオはぺろっと舌を出すと玄関に飛び込んだ。
手を振り上げながらメグがその後を追う。

庭ではメグの育てた花々が風に揺られていた。
その様子は二人の姉妹に笑いかけているかのようだった。

     *     *     *

壁掛け時計が鳴り3時を告げた。
陽の光が傾き始め、カーテンの向こうでまるで陽炎のようにゆらめいている。
ジョオはあれからずっとメグと共に懐かしい想い出話の世界に浸っていたのだった。

「‥まぁ、もうこんな時間!」
メグもまた我に返るように時計を見上げた。
そしてすぐに立ち上がると、部屋の隅にあった薪を暖炉にくべ、
慣れた手つきで水を満たしたやかんをかけた。

「ジョオはどうするの?
今日ぐらい泊まって行っても良いんじゃない。」
きびきびと家事をこなしながら話を続けるメグの姿は母のそれ、そのものだった。

「それにね、ちょっと聞きたい話もあるし。」
メグはカールの言葉を思い出しそう結んだ。

「そうしようかな…。」
ジョオがそう言いかけた時、玄関の扉をノックする者があった。
「姉さん!僕だよ。」

「あら、トムだわ。」
メグが玄関に向かい、ジョオもそれに従う。
扉を開けるとトムはジョオの姿を認めて胸を撫で言った。

「良かった、ジョオさんまだいたんだね。
家から伝言を預かって来たんだ。
ジョオさん宛てに電報が来たんだよ、ニューヨークからだって。」
その言葉にジョオの目が見開く。



「で、何だって?」
ジョオが逸る気持ちを抑えるようにして言った。

「ちょっと待って‥ああ、これだこれだ。」
トムが乱雑に折りたたまれた紙を広げる。

「ええと、”スグモドレ、タイセツナハナシアリ”…。」
そう読み上げるや否やジョオの身体が跳ね上がるように外へと飛び出した。


「あ、ジョオ!?」
メグが驚きの声を上げる。
見るとジョオの表情は今まで想い出話に浸っていた顔ではなかった。
赤く鼓動が脈打ち、射抜くような真剣な眼差しは八年前、ニューヨークに発った、
あの時を思い起こさせた。

ジョオは頬を上気させながらたずねた。
「…誰から届いたか聞いてる?」



ジョオの問いにトムは赤毛をかき上げた。
「変わった名前だったな…、
そうそうベアだ。F・ベアって書いてあった。」

「ありがとう!」
ジョオはそれだけ言うや否や仔馬のようにひらりとコスモス畑の柵を飛び越え、
一目散に我が家を目指して駆けて行った。

その様子を見てトムが思わず口笛を吹く。
メグはお行儀が悪いのを注意するように、彼の頭を軽く小突いた。
そして、同時にジョオがこの街を発つ時が近いことを感じ、
心にもの寂しい風が吹き込んでくるように感じられた。

そんなことは意にも解さないように、残された二人の姉弟を
ニューコードの夕陽は優しく照らし出している。
メグはこの小さな”鳩の家”の影が、もう遠くなったジョオの姿を追うように伸びて行くのを
いつまでも見つめていた。





つづく


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